どうも、私はハッピーエンドが好きなようだ。それも、外部の偶発的な要因による物ではなく、自らの意志でつかみ取った幸福という物に憧れているようだ。

前々からうすうす感づいていたが、ある作品を読んではっきりとそう気付いた。
多分これにはきっと私の根本原理が関係しているのだろう。根本原理という言葉が適切ではないなら、多分、起源とか業とか呼ばれる物が。
幸せは、そこにある物でも、あると気付く物でもなく、自らがつかみ取るべき物なんだと。青臭いと言われようがこれが私が選んだ幸福への足がかりなんだ。私はそう信じている。

ヤバイ。地下室の手記ヤバイ。マジでヤバイよ、マジヤバイ。

主人公ヤバイ。
まず引きこもり。もう引きこもりなんてもんじゃない。超引きこもり。
引きこもりとか言っても
「一月家から出てません。テヘッ」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろ20年。スゲェ!なんか単位とか違うの。何日とか何週間とかを超越してる。しかも地下室だし超寒い。

しかも全編愚痴。ヤバイよ、260ページ全部だよ。

だって普通はラノベとか全部愚痴じゃないじゃん。だって何これ全部愚痴とかwwwチラシの裏にでも書いてろとか言われたら困るじゃん。買って速攻ブックマーケットとか困るっしょ。

だからラノベとか愛とか希望とか語ったりする。話のわかるヤツだ。

けどドストたんはヤバイ。そんなの気にしない。愚痴りまくり。
どのページ開いても恨み辛みしか書かれてない。救いがないww

救いがないていたけど、もしかしたら救いはあるかもしんない。でもあるって事にすると

「じゃあ、なんでずっと引きこもってんの?」

って事になるし、それは罪と罰まで読まないとわからない。ヤバイ。罪と罰でもよんどくしかないwww

あと超駄目人間。年齢で言うと40歳なのに。ヤバイ。寒すぎ。何十年たっても厨二を抜け出せないとか。怖い。

なんつってもドストたんは馬力が凄い。俺ツエー、周りはみんな阿保ばっかとか書くのも平気だし。

うちらなんて厨二病とかたかだか記憶の中に出てきただけで上手く扱えないから叫んでみたり、黒歴史と置いてみたり、あの頃は若かったな、とか言ったりするのに、

ドストエフスキーは全然平気。厨二を厨二のまま扱ってる。凄い。ヤバイ。

とにかく貴様ら、地下室の手記のヤバさをもっと知るべきだと思います。

そんなヤバい地下室の手記を平気で出版したドストエフスキーとか超偉い。超頑張った。感動した

元ネタ:宇宙ヤバイのコピペ

※注意 コードギアスとグレンラガンについて重大なネタバレがあります

今更!?というのはおいといて。
予定調和の美学という物があると思うのです。
つい先程見終わったのでコードギアスを題材にして書きますが、まああの話の結末という物は最初から決まっていました。
ここで言う結末というのはルルーシュの死です。
いや、最初からというのは語弊があるかもしれません。ですが少なくとも、ユフィを自らの手で葬った時点でルルーシュの死というのは決定づけられていた運命な訳です。死亡フラグとは少しばかり意味合いが違いますが、それは物語のルールです。
悪は滅びなければならない、ルルーシュのギアスなんて眼じゃないくらいにそれは絶対的なルールです。少なくとも物語の中においては。
それゆえユフィを殺して悪となったルルーシュにはあの結末しか残されてはいなかった。
たしかにその構成は美しかったと言えるでしょう。物語の法則に則った最良の結末。それこそが予定調和の美学です。素晴らしく美しい閉じた世界。穏やかに落ち着いているからこそ視聴者も安心してみる事が出来る。
それはそれで綺麗でしょう。だがそれは予定調和であるからこそ、本質的に新しくはなり得ない。

創作物を評価する基準として私は新しいか否かというものを持っています。これははっきり言ってしまえばおもしろさには何の影響も無い値です。相関がないとはいえないがとても高いとは言えない。新しくて面白くない作品なんて腐るほどあります。むしろ、ただ面白いだけのものを創りたいならば新しさなど邪魔な要素でしかないです。はっきり言ってしまえば。
先人の残した偉大な遺産を拝借して上手くつなぐだけで宜しい。

でもね、それってなんだか哀しいじゃないですか?昨日の自分よりも明日の自分は進歩していたいじゃないですか?人類は明日を生きるべきじゃないですか?例え暗く閉ざされた明日であっても。
だから私はただ面白いだけの作品ではなく、新しい作品を愛す。それが私のルールです。

何を言いたいかというと、天子様とアーニャどっちを俺の嫁にするか悩むって事ですね
グレンラガンのネタバレがあると思ったらそんな事はなかったぜ!!!

よし、ちょっとお前らそこに正座しろ。まあ最近のラノベに対する批判の多いこと多いこと。いいか先生は苛立ってるぞ。ちゃんと聞け。いつまで正座してるんだ馬鹿野郎。

ラノベ?あああの萌えーの奴でしょゲラ、ってディスられて、苛立った経験はここを見ているマイミクさんなら一度は経験したことがあるだろう、きっとな。だから先生がそういう意見にまるっと反論してやる。
じゃあ、一個ずついこうか。

ラノベは文学じゃない
おうおう、しょっぱなからかましてくれるじゃねえか。これに対する返答はこうだ。「うん、だから何?」これでおk。ただ、これだけじゃあんまりだよな。それは認めるがしかし、何が文学かなんて泥沼の問題に突っ込む気はさらさら無い。とりあえず、私小説以外は文学とは認めんって大真面目に話された時代があったことだけは覚えとけ。大体ミステリーとか歴史小説なんかも文学じゃないって批判されてるからな。別にラノベだけの問題じゃない。

・内容が薄っぺらい
うん。まあ認めても良いよ。でもさ君だって、毎日毎日ステーキばっかり喰ってたら飽きるだろう?たまには、さっぱりしたお刺身が食べたくなるだろ?そういうことだ。

・萌え絵がきもい、小説なら絵で勝負しろよ
とりあえず源氏物語を読んでこい。話はそれからだ。

・レベルが低い
レベルを定義しろ。話はそれからだ。

・日本語がおかしい
なるほど、ラノベの日本語のおかしさは君が保証してくれるという訳だ、じゃあ君の日本語の正しさは誰が保証してくれるのかな?え、山田悠介の話。ゴメン、俺が間違ってた

・あんな、小説ばっかり読んでいたら読解力も想像力も付かない。もっと文学作品を読むべき
多分ね、小説読むことが素晴らしいことだと思ってるんだよな。あえて言わせて貰うがそれは読まない奴の意見。ただの妄想。勘違い。小説なんて読んでも時間の無駄だし、考え方はひねくれるし、小賢しくなるしろくなことはないんだよ。ソースは俺。でもそれを分かった上であえて、読んでるんだよこっちは。なあ。何でかって?面白いからにきまってんだろ。じゃなきゃ誰がわざわざ暇を潰して読むかよ。暇を潰しに読んでんじゃねーんだよ。こっちはいろんなもの捨てて読んでんだよ。

以上だ。
先生は上の理論のラノベの所にケータイ小説を入れてもほぼ成り立つという事実に愕然としているので今日はここまでだ。