バイバイレインボー

「高層ビルから見る虹は、地上から見る虹よりも奇麗なの。」と言って笑ったのは彼女だった。僕はそれを思い出す。今日も空には珍しく虹が出ている。カーテンを明けっ放しにした窓にはスペクトルが七色を示している。あの日、あの時、あの瞬間と同じように。


そういえば、その時出ていた虹は彼女がデジタルカメラで撮影して、パソコンの中に閉まったんだった。僕はそんなことも思い出す。それと一緒に、彼女の笑顔も思い出す。
デスクの上に置かれたグラスの中のサイダーがちりちりと音を立てる。
カラン。
溶けかけた氷が落ちる音。氷が起こした振動が部屋中に、伝播して予想以上に大きく僕の鼓膜を震わせる。
僕はノートパソコンを立ち上げると、その中に仕舞われた虹を探した。探しまわるまでもない。今まで撮りためいた写真を保存したフォルダの中、日付だけが書かれたそっけないファイルには奇麗な虹が残っていた。几帳面な自分の性格をどう思うべきなんだろうか、泣くべきか笑うべきか。だけど、残された虹はあの時と同じように奇麗だった。多分今日の虹と同じくらいに奇麗だった。じゃあ今とあの時で何が違ってるって言うんだろう。
僕が得た物について考える。そして、僕が失った物についても考える。一つの物を捨てれば一つの物を拾えるようになる。今日の僕はあの時の僕とは違う。多分、きっと。
僕は三ヶ月前に彼女を失った。そうして僕は一体何を得たんだろう。
煙草に火をつけようとして、灰皿を昨日燃えないゴミに出してしまった事を思い出す。彼女と一緒に暮らしていた頃は何を言われても止めなかったのに。「服に匂いがつく」、「煙たい」彼女の言葉が彼女の声で再生される。膨れっ面の彼女の顔。今はまだ思い出せる。
多分明日になっても僕の中の彼女はあの頃のままだ。それは、液晶の画面に映ったこの虹と同じ。デジタルなデータは決して劣化せず在りし日々の姿をそのままに保存する。ならば、この感情もこのままなのだろうか。十年経っても二十年経っても、この感情を抱えたまま僕は生きて行くのだろうか。生きて行けるのだろうか?
引き出しの奥に閉まったデジタルカメラを取り出した。三回撮り直してようやく納得のいく写真が撮れた。パソコンにコードをつないでデータを移す。彼女の撮った虹の隣に。 データの名前は今日の日付。二つ並んだ画像ファイルをしばらく見る。五分くらいそうしていただろうか。二つのファイルを選択した僕はそれをゴミ箱に移した。ワンクリックの簡単な作業。そうして、ようやくあの日の虹は消えた。
バイバイレインボー。[[]]